競輪初心者講座 (16)

オリンピック種目になるまで

1948年に日本に生まれた"競輪"がオリンピック種目として世界中の人々に愛されるようになった背景には、元競輪選手でもあり、現在では競輪解説者やスポーツコメンテーターとして活躍されている中野浩一氏の存在が大きいと言えます。

中野氏は、1975年に競輪選手とデビューし、1976年には自転車競技選手として世界自転車選手権にスプリントの選手として出場し、1977年での世界選手権では史上初の日本人優勝者に輝きました。

これ受けて、日本自転車競技連盟(日本車連)が国際自転車競技連合(UCI)に同大会での"競輪"の開催を打診した結果、1980年から世界選手権で競輪が採用されることになったのですが、日本の"競輪"に比べてルールが著しく異なることから"ケイリン"として別競技として見られるようになりました。

これが"ケイリン"の始まりです。

それから16年後の1996年、アトランタオリンピックより自転車競技がプロ・アマオープン化されることにつき、日本車連が"ケイリン"のオリンピック種目採用を国際オリンピック委員会(IOC)に打診したところ、世界選手権での実績が認められ、2000年に開催されたシドニーオリンピックから正式種目として採用されることが決定したのです。

こうして柔道に次ぐ日本発祥のオリンピック種目が誕生したのでした。

伝説の競輪選手 中野浩一氏

生年月日 1955年11月14日
出身地 福岡県久留米市
略歴
1975年 競輪選手デビュー いきなり18連勝する。
1976年 第18回競輪祭にて「新人王」獲得
1980年 日本プロスポーツ界「初」年間賞金1億円突破する。
1977-1986年 自転車世界選手権 プロ スプリント種目で前人未踏の10年間連続チャンピオンになる。(V10獲得&ギネスBookに載る)
1984年 「園遊会」へ招待され出席
1986年 「内閣総理大臣顕彰」受賞
1987年 1月に尚美夫人と結婚
1992年 6月 競輪選手 引退
2000年 シドニーオリンピック「KEIRIN」種目にて「初」ペーサーに選ばれ、参加する。
2006年 「紫綬褒章」受賞
「園遊会」へ2度目の出席
職業 競輪選手を引退後、スポーツコメンテーターとして活躍中

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